<臨床にでるオステオパスの指針>~創始者スティルの名著『オステオパシーの哲学』を好きなところから翻訳していくコーナー
創始者A・T・スティルの名著『オステオパシーの哲学』を
独断で好きなところから翻訳しご紹介していくコーナー。
<臨床にでるオステオパスの指針>
そもそもオステオパスが理知的に考える存在であれば、彼は秩序と健康が不可分だと結論付ける。もしそうなっていれば、各所に秩序が顕れているときに病気が広がることはない。完璧な秩序が保たれているにもかかわらず疾患が現れるのであれば、秩序というものは用をなさない。もし秩序と健康が普遍的に一体のものであるならば、有効性、生理学、哲学のどの観点からも、医師がそれ以外の尺度のどんな推論にも引きずられることはない。
化学者は望んだ結果を偶然に得ているのだろうか? 彼らよりも高い確率で、あなたの偶然は良い結果を得ることができるだろうか? 秩序と成功には思考と冷静な理知が必要だろうか? 理知に手綱を取らせたいと望むのなら、真実に依拠して事実を示すことができるという立場をとりながら、我々が提示する真実の妥当性を証明していかねばならない。結果に裏打ちされなければ、提示する真実は希望的観測にすぎないのだ。
自然は常に親切で、その能力の目撃者たちの正当性を示すために、自らの創作物を快く試料としてさし示し、その創作物によってその主張を証明する。実態のある証拠がないのであれば、自然は偶然の神につき従うことになってしまう。母、受胎、発育と出産といった原子から世界へと向かう法則は破綻し、宇宙は指揮する頭のないものになってしまうだろう。
自然の美しい創作物は今日もそこに在り、これまでもずっとそこに在った。それが当然といえるのは、その証拠を目の当たりにし、また、大小の万物が因果の法則にから出現したと心が推し量るからである。結果を祈りさえすれば、因果の法則が崩れるなどということがあるだろうか? 天が原因によって動くのであれば、一体いつ万物が、その偉大な原則から切り離されることがあったというのだろうか? 我々は古くから頼りにしている自明の理を信じて物事に取り組んでいる。その理に勝る能力が病気を撃退し、病人を癒すことを何かが証明してしまうまでに、我々が古い法則から解き放たれることはあるだろうか。
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